教会の歩み
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家族教会の設立と
光明園への移転
1912年1月11日
外島家族教会は、A・D・ヘール宣教師や福田荒太郎師の熱心な伝道により、日本基督教会浪速中会に所属する教会として外島保養院内に設立された。教会名は福田荒太郎師によって名付けられた。
1934年9月21日
室戸台風により外島保養院は流出、壊滅。
173名の患者および、14名の職員や家族が犠牲となる。
1938年4月27日
光明園が岡山県邑久郡虫明の長島に開園される。帰園者総数309名の内家族教会員は50名であった。
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光明園での最初期
1938年8月22日
光明園での初集会が霊安室で開かれた。
1939年4月
礼拝堂(後の光明会館)が竣工。その中で関西救癩協会や米国MTLの献金により旧教会堂が建設された。
1949年5月12日
日本イエス・キリスト教会和気教会の大嶋常治牧師の尽力で日本基督教団に加盟した。
1958年
播磨醇牧師が、関西学院神学部卒業後、教会創立初めての専任牧師となった。
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現教会堂との歩み
1959年12月13日
好善社により現在の教会堂が建設された。
1960年7月11日〜16日
関西学院大学宗教総部学生11名により第1回ワークキャンプが行われた。このワークキャンプは毎年続けられ、この頃より多くの教会、諸団体の方々が訪れるようになった。
1962年11月24日〜30日
家族教会主催で「全国らい療養所教会代表者会議」が開催された。この時、初めて各療養所教会はお互いの教会を認識した。
1972年6月20日
長島聖書学舎を卒業した津島久雄は、光明園家族教会の伝道師として、77年正教師牧師に就任した。
1997年5月19日
東中国教区「ハンセン病を患った方々への謝罪声明」を全国療養所とその中にある教会に出す。
1997年11月18日
日本基督教団より「ハンセン病に関する日本基督教団の謝罪声明」が出された。